好きなものは全て繋がっていた!
先日1人でカタルシス状態になっていたので...
今では洋画オタクだが、中学生の頃はディズニーに夢中。いわゆる「Dオタ」。
遠方なので頻繁にインパはできなかったが、毎月Dファンを買って、イベント初日はYouTubeで確認....という日々を送っていた。
ディズニーは私の人生で初めて出現した趣味だった。
テーマパークというものに魅せられていた私はUSJにも興味を持つ。その中で出会えたのが「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
ここから私の洋画オタク生活がスタート。
そもそも、ディズニーもメイド・イン・USAだが、この頃(高校)から過激な洋もの被れにシフトチェンジ。
映画化や挿入歌からどんどん幅が広がっていき、文学作品は「オン・ザ・ロード」「華麗なるギャツビー」、音楽はリンキン・パークとニルヴァーナ、邦画邦楽日本文学は暗く、つまらなく、しょうもないと高を括っており、今思い返すと非常に痛々しい。
大学生になって「あ、日本の作品も意外といいんだ」とようやく気付き始め、村上春樹だの村上龍だのに手を伸ばし、音楽だとマンウィズやサカナクションを聴きだした。
数日前、大阪行きの新快速の中でふと思った。
「こいつらも海外被れじゃね?」
村上春樹は「ライ麦畑」や「ギャツビー」の邦訳本を出している、村上龍の作品には海外被れの男の子が高頻度で登場する。(前者もそうなのだが。)
マンウィズは歌詞が英語の部分があるし、サカナはトゥードアシネマクラブっぽい。
日本的だと思っていたものが実は全く日本的なものではなかったのである。
(だから国内で新鮮なものとしてウケたのではないか。)
人は全く新しいものを好きになるということはないのかもしれない。
これはもちろん悪い意味ではない。
今まで自分とは無関係だったものものを好きになっても、その根底には共通の"中毒性のある何か"が潜んでいるのではないだろうか。
"中毒性のある何か"は人によって様々だが、これがそれぞれの個性を作り、生きる活力になるのではないか。
そういえばマーベルもスターウォーズもディズニーに買収された.....
最近カメラを買い換えたが、カメラ始めたのはディズニーのショーパレでキャラを撮るためだったよな....
「華麗なるギャツビー」の世界にハマったのはTDSのアメリカンウォーターフロントを彷彿とさせたから.....
どうやら私の"中毒性のある何か"の基礎の形成はディズニーにあるようだ。